日本旅行を楽しもう!

旧根岸競馬場に残る近代競馬の記憶|一等馬見所の3塔と芝生

旧根岸競馬場に残る近代競馬の記憶|一等馬見所の3塔と芝生
旧根岸競馬場は、日本初の本格的な洋式競馬場として始まり、現在は根岸森林公園の芝生と一等馬見所に記憶を残します。J.H.モーガン設計の三塔を持つ観覧施設、競馬開催から戦後接収、公園化への歩み、内部へ入らず安全に歴史を読み取る方法を紹介します。

ひと目でわかるポイント

近代競馬の記憶が残る跡地

旧根岸競馬場は根岸森林公園の芝生と、3つの塔をもつ一等馬見所を通じて、日本初の本格的な洋式競馬場の姿をたどれる場所です。

一等馬見所の3つの塔

一等馬見所は中央に3つの塔を並べた外観が特徴で、公園の小道を移動しながら塔の重なりや長い外壁を観察できます。

日本初の洋式競馬場の始まり

根岸競馬場は1866年にイギリス駐屯軍将校らの設計で建設され、翌年に横浜レースクラブが最初の競馬を開催しました。

J.H.モーガンの建築

現存する一等馬見所は1929年完成でJ.H.モーガンが設計し、地上7階地下1階の大規模な構造に食堂や吹き抜けを備えていました。

公園へ変わった歩み

旧根岸競馬場では、競馬は1942年に終わり戦後の接収を経て、1977年に跡地が根岸森林公園として開園し、市民の緑地へ姿を変えました。

見学は外観観察が基本

一等馬見所は内部へ入れないため、柵や立入表示の外から塔や柱、窓を観察し、建物に触れないことが基本です。

デジタル資料で内部を補う

横浜市とNPO法人J-heritageが公開するデジタルアーカイブには内部映像や三次元モデル、360度のバーチャルツアーがあります。

※最新情報は公式発表または現地でご確認ください。

神奈川県の人気記事

PR

旅をもっとスムーズに

近くに泊まると観光がぐっと便利に。現地ならではの体験もあわせてチェックしてみましょう。

旧根岸競馬場で最初に見るもの

旧根岸競馬場の跡地では、根岸森林公園の広い芝生と、その縁にそびえる旧根岸競馬場一等馬見所を結び付けて見ることが出発点になります。

現在の穏やかな公園だけを見ても競走路の姿は分かりにくいものの、高台の地形と巨大な観覧施設を手掛かりに、馬が走った場所の広がりを想像できます。

3つの塔がつくる輪郭

一等馬見所は中央部に3つの塔を並べた外観が特徴で、遠くからでも建物の位置と規模を認識できる強いシルエットを残しています。

正面の一点だけでなく、公園の小道を移動しながら塔の重なり方を見ると、長い建物に垂直方向のリズムを与えた構成が分かります。

芝生の起伏からコースを想像する

根岸森林公園のなだらかな起伏は現在の憩いの景観をつくる一方、かつて大規模な競馬場が置かれた高台の地形を体で感じさせます。

競走路の位置を現地だけで断定せず、古写真や案内図と現在の芝生を見比べると、失われた施設と残った建物の関係を慎重に読み取れます。

外から観察する歴史建築

一等馬見所は内部へ自由に入る施設ではないため、柵や立入表示の外から塔、柱、開口部を観察し、接近して建物へ触れないことが基本です。

見る対象 注目点 読み取れること
3つの塔 高さと反復 観覧施設の象徴性
長い外壁 柱と窓の連続 多数の観客を収めた規模
芝生と斜面 高低差と視界 競馬場が置かれた地形
古写真 一等と二等の馬見所 失われた全体配置

日本初の本格的な洋式競馬場の始まり

根岸競馬場は1866年、イギリス駐屯軍将校らの設計と監督で建設された日本初の本格的な洋式競馬場とされ、翌年に最初の競馬が行われました。

開港地横浜と競馬

開港後の横浜には外国人居留地が形成され、外国人社会の娯楽だった競馬が、運営組織や専用コースを備えた近代的な施設として根岸に根付きました。

港に近い居留地ではなく丘陵地に大きな競馬場を設けたことから、当時の都市が郊外へ活動範囲を広げていった様子もうかがえます。

横浜レースクラブによる運営

最初の競馬はイギリス人を中心とする横浜レースクラブによって運営され、競走を観戦する文化と施設運営の仕組みが横浜から広がりました。

単に馬の速さを競う場ではなく、観客席、食堂、社交空間を備えた競馬場は、開港都市における国際交流と社交の舞台でもありました。

日本の競馬文化へつながる競走

根岸では現在の天皇賞の前身に関わるエンペラーズカップや、皐月賞の源流となる競走が行われ、日本の近代競馬史に長い影響を残しました。

現在の競走名と当時の制度をそのまま同じものと見なさず、競走の理念や賞典が形を変えながら受け継がれた系譜として理解するのが適切です。

歩みを年表で整理する

時期 出来事 現在につながる意味
1866年 本格的な洋式競馬場を建設 根岸競馬場の始まり
1867年 横浜レースクラブが競馬を開催 組織的な近代競馬の展開
1929年 現在の一等馬見所が完成 大規模観覧施設の現存
1942年 戦時下で競馬開催を終える 競馬場としての役割が停止
1977年 跡地が公園として開園 市民の緑地へ転換

一等馬見所を建築として読む

J.H.モーガンの設計

現存する一等馬見所は1929年に完成し、山手の西洋館や教会建築も手掛けたアメリカ人建築家J.H.モーガンが設計しました。

施工は大倉土木(現在の大成建設)が担い、鉄骨造および鉄骨鉄筋コンクリート造の地上7階・地下1階、塔屋2階という大規模な構造は、多数の観客と複合的な用途を受け止める近代施設でした。

3つの塔は装飾的な目印であると同時に、長大な観覧席の中心を強調し、競馬場を訪れる人に建物の格を示す役割を果たしています。

観覧席の裏にあった社交空間

古写真では一等馬見所と二等馬見所が並び、観客の区分に応じた複数の施設がコースに面して設けられていたことが分かります。

一等馬見所の内部には食堂や吹き抜けの通路などがあり、レースを見る席だけでなく、滞在し交流するための空間が組み込まれていました。

内部の細部は外から確認できないため、写真、三次元モデル、バーチャルツアーを用いて外観との対応を確かめる方法が安全です。

根岸森林公園に残る競馬場の面影

芝生広場へ変わった馬場

競馬場としての利用が終わった後、跡地の一部は戦後に接収され、返還された区域をもとに整備が進み、現在の根岸森林公園へ姿を変えました。

広い芝生は競走路をそのまま保存したものではありませんが、建物から見渡せる開けた空間によって、かつて馬と観客が集まった場所のスケールを伝えます。

一等と二等を古写真で補う

現地には一等馬見所が残る一方、二等馬見所は老朽化により解体されており、古写真を見なければ往時の観覧施設全体を想像しにくくなっています。

写真の塔、観覧席、建物の長さを現存部分と照合すると、残された1棟が競馬場全体の記憶を担っている理由が理解できます。

高台の眺めを手掛かりにする

根岸の丘は港や市街地を望む位置にあり、観覧席から競走路だけでなく周辺景観も楽しむ競馬場だったことを、地形から想像できます。

現在は樹木や周辺建物で眺めが変化しているため、往時と同じ視界を求めず、丘の高さと空の広がりを歴史景観の手掛かりにします。

競馬場から公園へ変わった意味

戦争と接収を経た土地

競馬は第二次世界大戦が激化した1942年まで開催され、その後の敷地は軍事利用や戦後の接収を経験し、娯楽施設としての連続性を失いました。

返還後に公園として整備された過程は、近代競馬、戦争、占領、市民利用という異なる時代が同じ土地に重なっていることを示します。

芝生で過ごす現在の風景は過去を消したものではなく、用途を変えながら場所を公共空間として引き継いだ結果として見ることができます。

歴史的建造物として守る

一等馬見所は横浜市認定歴史的建造物となり、耐震化と将来の活用が検討される対象として、建築の安全と歴史的価値を両立させる段階にあります。

現地で内部へ入れないことは価値が低いからではなく、建物を将来へ残すための安全上の条件であり、外観観察とデジタル資料を組み合わせる意義があります。

安全に歩きデジタル資料で補う方法

立入範囲を守る

一等馬見所の周囲では柵、工事表示、管理者の案内を優先し、隙間から入ったり建物へ触れたりせず、公園の通路から観察します。

塔を近くで見たい場合も、距離を詰めるより安全な位置から角度を変え、望遠機能や双眼鏡を使って細部を確認する方が適切です。

デジタルアーカイブを先に見る

デジタルアーカイブには内部映像、三次元モデル、360度のバーチャルツアーがあり、現地では見えない食堂や吹き抜けを確認できます。

デジタルアーカイブは、横浜市とNPO法人J-heritageの連携により公開されています。

訪問前に内部構成を知っておくと、外壁の窓や塔がどの空間に対応するか想像しやすくなり、外観だけの見学でも理解が深まります。

公園と資料を往復する

現地では芝生、丘、建物の位置関係を見て、帰宅後に古写真や模型を照合すると、競馬場全体を一度に復元しようとするより確実に情報を整理できます。

公園内の馬文化関連施設は整備や休館で利用状況が変わることがあるため、訪問直前に公式案内を確認し、利用できる範囲で計画を組みます。

順序 行動 確認する点
事前 公式情報と古写真を見る 公開範囲、建物配置、来歴
公園入口 丘の高低差を把握する 芝生と一等馬見所の位置
外観 安全な通路から角度を変える 3塔、柱、窓の反復
芝生 広がりを歩いて確かめる 競馬場跡地のスケール
振り返り デジタル資料と照合する 内部空間と失われた施設

旧根岸競馬場のまとめ

旧根岸競馬場は、日本初の本格的な洋式競馬場として始まり、J.H.モーガン設計の一等馬見所、競馬開催の終了と戦後接収、根岸森林公園への転換を重ねた場所であり、3塔の外観、芝生の広がり、古写真とデジタル資料を組み合わせることで近代競馬と横浜の都市史を安全に読み取れます。

よくある質問

A. 旧根岸競馬場は、日本初の本格的な洋式競馬場の跡地です。現在は根岸森林公園の芝生と、丘の縁に残る一等馬見所を合わせて見られます。競走路の姿は分かりにくいため、高台の地形と巨大な観覧施設を手掛かりに、馬が走った場所の広がりを想像すると理解しやすくなります。
A. 旧根岸競馬場は1866年に建設され、翌1867年に最初の競馬が開催されました。設計・監督はイギリス駐屯軍将校らで、運営は横浜レースクラブが担いました。後に天皇賞の前身エンペラーズカップや、皐月賞の源流となる競走も行われ、日本の近代競馬史に影響を残しました。
A. 根岸森林公園へは、市営バスで「旭台」下車が便利です。JR根岸駅・桜木町駅・横浜駅から市営バスを利用できます。JR根岸駅または山手駅から徒歩約15分の案内もありますが、丘へ向かう上り坂があるため、体力や時間に不安がある場合はバスを選ぶと負担を抑えられます。
A. 旧根岸競馬場の一等馬見所の周辺は立入禁止区域のため、内部の見学はできず、公園の通路から外観を眺めるかたちになります。塔を近くで見たいときも柵に近づくより、安全な位置から角度を変え、望遠機能や双眼鏡を使うと、柱や窓の反復といった細部まで落ち着いて確認できます。
A. 根岸森林公園は入園無料で利用できます。管理センターは9:00〜17:00で、年末年始は休館です。隣接する馬の博物館と根岸競馬記念公苑はリニューアル工事のため休館・休苑中で、2029年の再開を目指して工事が進められています。展示目的なら再開情報を確認してください。
A. 一等馬見所は1929年完成の大規模な観覧施設です。J.H.モーガンが設計し、大倉土木が施工しました。鉄骨造・鉄骨鉄筋コンクリート造の地上7階、地下1階、塔屋2階で、中央の3塔が外観の特徴です。小道を移動して塔の重なりを見ると、長い建物のリズムが分かります。
A. 見学は、芝生と丘、一等馬見所の位置関係の確認から始めます。競走路の位置を現地だけで決めつけず、古写真や公式のデジタルアーカイブと照らし合わせると、残る建物と失われた施設の関係を整理できます。立入禁止区域には入らず、公園の通路から安全に観察してください。
A. 二等馬見所は現存せず、現在は一等馬見所だけが残っています。戦後の接収解除後、下見所と二等馬見所は取り壊されました。古写真で一等・二等の塔や観覧席の長さを見比べると、現存する1棟が競馬場全体の記憶を担う理由や、かつての施設配置を理解しやすくなります。

PR

旅をもっとスムーズに

近くに泊まると観光がぐっと便利に。現地ならではの体験もあわせてチェックしてみましょう。

近くのおすすめスポット

この周辺のおすすめ記事をチェック

※ 記事内容は執筆時点の情報に基づいており、現在の状況と異なる場合がございます。また掲載内容は正確性・完全性を保証するものではありませんので、ご了承ください。
PR本記事には広告(アフィリエイトリンク)を含む場合があります。リンクを経由したお申込みで運営者が手数料を得ることがあります。